子育てしたことのない人間が子育てについて書いてみる

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はい、どーも松山です。


今回は、
『子育てしたことない人間が子育てについて』
書きたいと思います。

結局、部下に教える教育も
周りの人に何か伝える時も
子供を育てることにおいても、

まず1番大事なのは"どれだけ自分自身と向き合ってきたか"ということなのではないかと思います。
自分自身を理解出来ていない人に、
他者も理解出来ないだろうから。




そして子供を育てるということは、
大人が足りないことを気付かせてくれるとも思うのです。


まず大事なのは深い目的を知る。

親は子に幸せであって欲しいと思っているはずです。

でも何が幸せかを定義出来ない親が子供に幸せになる方法・幸せになれる教育が出来るのだろうか。
という点です。

深い目的とは、人間に備わってる根源的な想いとも言い代えられます。

例えば、
『道路の真ん中で遊ぶ子供』

子供に素直であって欲しいのなら、
子供には遊ばせてあげるべきですね。
子供は遊びたいのだからそのまま遊んでいれば幸せなのですから。


けど、子供は知らないんです。
道路の真ん中で遊んでいると車が来て轢かれて、
痛い思いや、死んでしまう恐れがあることを。

子供は深い想いのところに、
死にたい。
痛い思いをしたい。
とそんなふうになりたいとは思っていないのです。


けど、子供は、
道路の真ん中で遊んでいるとそうなってしまうことを知らないのです。

だから、
・遊びたい
・でも死にたいワケじゃない
・痛い思いをしたいワケじゃない
そういう子供の本当の気持ちを叶えてあげるために親が手助けするのです。
教えてあげるのだと言えます。


だから僕が考える教育とは、
『その人が根源的に想う深いところまでの素直さを実現するための手助け』
だと思っています。


なので、そこで親が子供に対して、
「危ないでしょっっ!!!」
「何度も言ってるでしょ!!!」
と怒鳴っても親は逆に自分自身の深い気持ちを理解してないのです。

親は子供に対して、本当は、
「大切な人に痛い思いをして欲しくない」
「子供が痛がる姿を見たくない」
そんな愛情が根本にあるはずです。

それを最初から素直に表現していれば、
怒鳴るという段階には至らないのです。


素直に抱きしめて、
本当の気持ちを言葉で伝えれば、
例え子供がまだ言葉を理解してない年齢だとしても、
その姿と想いは伝わるのです。


動物や植物は、
特に人間の愛情に敏感だと思います。
それが嘘だったら分かるのです。
動物や植物は人間の気持ちによく応える生き物だと思う。

愛情なくただインテリアのためだけに飾られた植物はすぐ枯れてしまう。

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昔、こういう迷信が流行ったのを知ってますか??

水に「ありがとう」と言い続けると、
結晶がキレイになる。
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別に僕はそれを信じているワケではありませんが、

火のないところに煙は立たない。
もしかすると、一理あるのかもしれないとも思うのです。


例えば動物が好きじゃない芸能人とかが番組のために擬似的に愛情を注いでいるよりも、
本当に愛情を持って本心からかわいがってくれる人に動物や植物はよく応えてくれるとも思うのです。


気持ち悪い言い方をしますね。
だから「ありがとう」とかそういった言葉も本心から思っていないと、
宇宙や純粋な生き物へは、ごまかしが効かない。


子供に対しても、
本心から思っていないのに相手を操作するために褒めたり、
「よく出来ましたね」とか、
見返りを求める行為は相手を自由にさせない。

それは承認欲求という束縛の縄になり、大人になってから苦しめられる結果に繋がる。
『嫌われる勇気』というベストセラーの本でも有名な「アドラーの心理学」では子育てにおいて"褒めること"自体を否定している。

しかし、僕は褒めることも2種類あると思っている。

それは、
・心から溢れ出た褒め言葉か
・相手を操作するための褒め言葉か
という点だ。

例えばだが、
マジック(手品)を見て、
一瞬でコインが移動したところを見せられます。
それを見て、
「すげぇ!!」
と、つい出てしまう言葉は褒めでもありますが見返りなど求めて出た言葉ではなく、心からの感嘆。
つまり心からの賞賛・褒めである。
子供が初めて立ち上がったのを見て、
心から「わぁ、やったー」と喜ぶのも一緒だ。


けど、相手を操作するための褒めもある。
褒めよう、褒めなきゃって思っている時だ。
例えば鉄棒で1回転出来た時に、
「わぁーすごいね」「◯◯くんは天才だね!」
とか心にも思っていないことを、
言うのは相手を自分の思い通りにさせたいという気持ちが含まれている。

上司が部下に褒める時も、
例えば普段遅刻してくる部下に、
「いや、怒ってはいけない、ちゃんと定時に来た時に褒めてあげよう」
と思っている上司のそれは、褒めるというエサをあげて部下を操作しようとしている。
"見返りを求めた褒め"ということだ。

もし遅刻してくることを本当に叱りたいのなら、
その素直な気持ちをちゃんと相手に伝えた方が本当の意味で相手のためにもなるのだ。

でもその時には、上司もいろいろな想いがあって叱るわけだから、
そういう時も深いところまで自分が思っていることを素直に表現しないと相手には伝わらない。
・相手を傷付けたいワケじゃない
・遅刻を許せない
・時間に来ないと心配になる
・会社のこと、ひいては上司である自分のことを軽んじてるように感じる
・話し合って分かり合い、より良くなっていきたい
などだ。

そういった絡まり合った素直な感情をどれだけ相手に素直に伝えられるかがすごく大事なんだと思う。


つまり、アドラー心理学では褒めること自体を否定していたが、
アドラー心理学について書いた『嫌われる勇気』を著した岸見一郎さんは、
サイボウズという日本の企業の社長と対談した時に、
サイボウズの社長が同じような疑問を抱いていて、それに対し岸見さんはこう答えていました。

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「ほめられないと伸びない人」って一番困るのです──『嫌われる勇気』岸見一郎先生に聞く | サイボウズ式




つまり、整理すると、
・心から思ったことは言えば良い
・見返りを求めた相手を操作する目的の褒めは相手を縛るだけ
ということだと思います。

オシャレな人を見て、
「わ、オシャレ」と思ったなら言えばいい。

ただ人間関係において見返りを求めた褒めは見破られることがある。
相手の女性から歓心を買いたいために、
「キレイだねー」とか「カワイイねー」とか褒める。
本心が多少含まれていても、歓心を買いたい(見返りを求めてる)気持ちがあるとそれを見抜ける女性もいるだろう。

本当に褒めることが上手い人は、
自分が本心から思った中で特に感情の部分を伝えることが出来る。

「美人だね」って言われるよりも「◯◯さんがいると楽しい!」とか「◯◯さんの笑顔がかわいくて本当癒される」みたいにそういった感情を含んだ言葉のほうが嬉しい人は多いんじゃないだろうか。

例えば、初めて鉄棒で1回転出来た子供を見て、
正直心からすごいと思わなかった、けど、
出来ないことを出来るようになった姿を見て感動した、
努力して達成した相手の喜ぶ姿を見て自分も嬉しかった、
のであれば、そのことについて素直に伝えたほうが相手によっぽど響く。

『頑張ったんだね、自分のことみたいに嬉しいよ』のように。

人間は感情の生き物だから。


つまり…
褒めることも、
叱ることも、
自分の根本にあるいくつもの感情や想いを理解した上で
もし素直に伝えられたのなら、
正直『嫌われる勇気』に書いてある叱ることや、褒めること自体への否定は、僕は間違っていると思う。




そして、
大人は自分が持つコンプレックスを持ったままの状態で、
子育てを始めると高確率でそのコンプレックスを子供に引き継がせてしまうと考える。


・金銭的にコンプレックスを抱えた人はそれを子供に
・自分の両親とうまく分かり合えてない人はそれを子供に
・学歴にコンプレックスがある人はそれを子供に
・嫌なことを我慢して生きている人はそれを子供に
・嘘をついてしまう人はそれを子供に



例えば子供に、
『嘘をつくな』と教えたとする。
または、そう教えたい、とする。

俺はそう思う。
自分に子供が出来たなら「嘘はつくな」と教えたい。
結局のところどんな嘘だろうが、
最終的には自分や相手の為にならないのだと人生の中で学んできたから。

「嘘をつくな」と子供へ教えるのに、
じゃあそれを教える親自身が日常の中で嘘をついてたら、どうだ?
笑い事も、はなはだしい。

親は自分が嘘をつくことがあるのに、
「嘘をつくな」とどうやって子供に教える??

嘘をつかない覚悟を持って、
それを実践してきた・体験してきた人にだけ気付けることがあり、
嘘をつく人には分からないことがあるからだ。


親が持っていて解決出来ていないコンプレックス・課題は、
高確率で子供へ引き継がせる結果となるだろう。

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だから俺は、
今俺が持っている"人生の課題"をクリアしてから、
結婚も、子供も欲しいと思う。
(人生の課題とは『自分自身が根源的に想う深いところまでの素直さを実現すること』)


自分自身へ人生のベクトル(矢印)を向けなきゃいけない時期に、
結婚したり、子供が出来たら、
人生のベクトル(矢印)は、
強制的にでも他者に向かわせざるを得なくなるだろう。

つまり、結婚を選択したり、
子供が出来てしまうと、
その時点で自分自身の成長というか、
自分の抱えてる課題へ向き合うこと自体が難しくなる。

他者の人生のために動かなくてはいけなくなるからだ。
仕事を辞めたくても、おいそれと辞めることは出来なくなる。
あの場所に住んでみたい、と憧れてもなかなか移り住むことが難しくなる。
死ぬまでに行ってみたいと思っていた海外のあの絶景も子供がちっちゃくて長時間の飛行機が、、となったりして行くのも難しくなる。
ナンパをしてみたいと思っても奥さんがいたら無理になってもくるだろう。笑

学校での講演を何回かしてきましたが、
今まであった親御さまの子供に対しての相談で感じたことは、
その子の課題ではなく、
相談のあった親御さま自身の課題だと感じたことがあります。
「子供が何事も楽しめないんです。それで心配で」
というご相談のとき、
僕もそのお子様のことが心配になり、
でもそのお子様と話をしたら全然前向きそうで、
まったく親御さまが言うような雰囲気はありませんでした。
けど親御さまの目からは自分の殻を閉じているオーラがどことなく漂ってました。
握手を差し出したときも、チラッと僕の手を一瞥して握手を返してくれなかったときも、それを少し感じました。
握手を返してくれなかったことがイヤなんじゃなくて、見た目はキレイに整えているのに、他者ともっと関わりたさそうな目をしているのに、その自分に素直になれていない印象を受けたのです。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
人それぞれが抱える人生の課題は、
結婚する前に、子供が出来る前に、
解決しておくに越したことはないと思う。

子供が自立してきた辺りで、
親は子供が出来る前に解決してなかった自分自身の課題に結局また向き合わないといけないのだから。

自分の課題を子供に引き継がせたくないなら。
そして自分や家族の本当の幸せをずっと願うなら。

これは俺自身の考えだが、
自分は胸を張って「幸せ」だと言えるまで結婚も子供もまだかなって思う。
それは心の面、金銭面、生活面においてだ。

それは、
お金を持ってない人が、
他の人にお金を分け与えることが出来ないように、

心から幸せだ!と言えるまで、
人に幸せを与えることは難しいからだ。

少しの食べ物しか持ってない人は少ししか分けられないし、
少しの幸せしか持ってない人は少ししか分けられない。


自分がもっともっと幸せだと感じれるように成長する。

それが結局、
『教える・育てる』
ということには1番大事なんだろう。